東京マラソン優勝を経て地方移住。ランナーとしての暮らし方。〜樋口紀子〜
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東京マラソン優勝を経て地方移住。ランナーとしての暮らし方。〜樋口紀子〜

ここからこころつながる周南市 公式note

1985年、京都府生まれ。旧姓は樋口紀子。小学生の頃から持久走が得意だったため、中学入学と同時に陸上部に入り、本格的に陸上競技をスタート。その後、立命館宇治高校、立命館大学を経て、憧れだったワコール女子陸上競技部に入部。ワコール所属選手として、2009年近畿陸上選手権10,000m優勝、2010年仙台国際ハーフマラソン優勝、東京マラソン2011優勝、2011年アジア選手権金メダルなど華々しい成績を残す。2017年、10年所属したワコールを惜しまれつつも引退。2020年、結婚を機に山口県に移住し、翌年4月から周南市民に。子育てに奮闘中の現在は、市民ランナーの一人として趣味でランニングを楽しむ。

今回ご紹介するのは、かつて陸上の名門「ワコール」に所属していた女性ランナーの末長(旧姓:樋口)紀子さん。今年2月に39歳で引退した元女子陸上競技選手で同じワコールに所属していた先輩・福士加代子さんとともに汗を流したランナーの一人です。20年の競技人生に終止符(もしかしたら休止符?)を打ち、2017年に引退した末長さんに、陸上の魅力を教えてもらいました。

小学生の頃、持久走が得意だった。ただそれだけ

末長さんが本格的に陸上競技を始めたのは中学生の時。別の小学校から入学してきた陸上が大好きな友だちとたまたま同じクラスになり、陸上部の見学に誘われたのが始まりでした。末長さんが入学するタイミングで強豪校の陸上顧問が着任したこと、そして、担任が短距離走の先生だったことなど、偶然も重なりました。もちろん、末長さん自身、陸上に対する得意意識があったといいます。

「小学生の時、持久走がそこそこ早かったんです。普通はミニバスをやってる子たちが早いんですが、何もやってない私も早く走れた。それで、走るのはちょっと得意かもしれないなと。」

小学校高学年の頃は、仲のいい友だちとチームを組んで駅伝大会にも出場していたそう。「それがめちゃめちゃ楽しかった!」と話してくれました。

高校1年生で福士加代子さんらとたすきをつなぐ

中学・高校時代で印象に残っているレースは、2002年、高校1年生の時に京都チームで出場した皇后盃第20回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会だそう。メンバーには、のちに同じワコールの所属となる先輩ランナーの福士加代子さんもおり、みんなでたすきをつなぎ、見事優勝を果たしました。末長さんは7区を走り、区間賞に輝きました。

「とにかく福士さんがかっこ良くて、ますます憧れました。私と一緒に走ったことを覚えていらっしゃらないかもしれませんけど(笑)。その時はまだ高校生だったので実業団に入りたいなんて思っていませんでした。まさか8年後にワコールでまたご一緒できるなんて…、想像もしていなかったです。」

そう、末長さんは、その後大学でも陸上を続け、2007年に福士加代子さんが所属するワコール女子陸上競技部に入部するのでした。

誘われたのではなく、自分で夢を掴みにいった

「実は、ワコールからは誘われていませんでした。」

大学時代、いろいろな実業団からオファーがあった末長さんでしたが、ワコールからは声がかからなかったといいます。ただ、ワコールの本拠地は京都なのでスカウトマンとは面識があり、思い切って自分から声をかけたそうです。

「『私、ワコール入りたいかも…』って言いました(笑)。実業団で走るなら、当時日本で一番強いと思っていた女子陸上選手の福士さんがいるワコールしか考えられなかったんです。」

「来てくれと言われたわけじゃない」と控えめに話す末長さんですが、全国高校駅伝や全日本大学女子駅伝などで何度も区間賞を手にするなど、これまで華々しい成績を残しているのは事実。自ら動いた勇気はもちろんですが、積み重ねた実績があったからこそ、ワコールへの入部が叶ったのでしょう。

実業団はぶっ飛んだ人が多かった!?

ワコールに入部した末長さんがまず感じたのは、「個々がしっかりしている」ということ。極端に言えば、みんな「ぶっ飛んでいた」といいます。

「いざ走るとなったら、みなさんスイッチを入れたように切り替わるんです。そのメリハリが本当にすごかった。私は気持ちを切り替えるのが苦手だったので、みなさんの様子にいつも圧倒されていました。」

聞けば、末長さんは練習していないと不安になるタイプで、いつも頭の中が陸上でいっぱいだったそう。たとえ体を故障したとしても、休んでいる間に仲間が強くなっていくのに焦りを感じ、歩いたり、泳いだり、エアロバイクをこいだりと走る以外のトレーニングをし続けるほど。

「でもそれじゃ気持ちが休まらないですよね。それに、完治する前に別の箇所を故障したりして、完全に悪循環です。これが自分で納得のいく結果が出せなかった理由だと、今ならわかります。」

それは、ルーマニアのリディア・シモン※さんの元へ留学した時も痛感したそうです。

※リディア・シモン…ルーマニア出身のマラソンランナー。シドニー五輪では高橋尚子と競い、わずか8秒差で金メダルを逃した。

「『日本人はレースの前にこれを食べる、この距離を走るとルーティンを作りがちだけど、もっとやわらかく考えた方がいいんじゃない?』って言われました。ルーマニアに到着してすぐ、シモンさんは割とふくよかな体型をされていましたが、後ろを走っていると日に日に体が絞られていくんです。レースに合わせた体の作り方がものすごくて、やっぱり強い選手は違うと思い知らされました。きちんとメリハリをつけることが、強くなる秘訣であり、競技人生を長く続けられる秘訣なんです。」

かつての自分を振り返り、あの頃の自分に「もうちょっと肩の力を抜いたら?」と声をかけたいという末長さん。当時もチームメイトや後輩に対しては「肩の力を抜いて」と声をかけることができたそうですが、自分自身は不安に耐えきれず、常に「練習していたい」と思っていたとか。

「女性アスリートは私のようなタイプが結構多いと思います。だから不調が続いちゃう子が多い。強い人は自分の体のことをちゃんとわかっている。というか、自分の体のことをきちんと知っているから、強いんですよね。」

「もっともっと練習したら、今よりずっと強くなるんじゃないか」と追い求めた先に待っていたのは肉体的にも精神的にも疲労した自分。「練習の方がタイムが良くて、『練習チャンピオン』って呼ばれてました」と笑う末長さんですが、その苦しみを知っているからこそ、できることがあるはずと前を向きます。

今でも悔しい負けたレース。忘れられない先輩の涙

ワコールでの10年間で一番印象的だったことを尋ねると、末長さんはしばらくの間考えて、「やっぱり負けたレースかな」と答えてくれました。その忘れもしないレースとは、2012年に仙台で行われた全日本実業団対抗女子駅伝でした。

「6区アンカーを任されたのですが、2位で競技場に入ってきたのにラストの直線で2人に抜かれ、4位になってしまいました。それでも先輩の福士さんが笑顔で迎えてくれました。でも、試合後の取材の映像を見ると、福士さんが影で一人泣いているシーンが映って。その時、先輩たちにもらったものは多いのに、返せたレースがあんまりなかったって、急にそれまでを振り返りました。」

ずっと憧れ、尊敬してきた福士さんの涙が末長さんは今も忘れられないそうです。

「福士さんにはたくさんのものをもらいました。ワコールに入る前、福士さんのことを『本当にこの人天才だ!』と思っていました。でも実際にチームに入ってみたら、すごく努力されるし、すごく悩まれることもある。壁にぶち当たる時もある。だけどテレビで見る福士さんはいつも明るくて前向きで。そんな方に涙を流させて、今でも当時の悔しさが蘇ります。」

「理想の走りができない」。悩んだ末の、引退

2017年12月、末長さんはワコールを退部し、現役を引退しました。陸上を始めて20年、ワコールに入部して10年が経っていました。

「引退を決めた理由は、思うような練習ができなくなったこと。自分の中に『実業団ではこれくらいの走りをしなきゃいけない』っていう目標があって、それに到達しなくなったんです。もちろん、ずっと続けていきたいという気持ちもありましたが、足の手術もあって。」

末長さんは、どんなに辛いことがあっても、大きな悩みを抱えていても、それまでは両親に打ち明けたことがなかったそうです。でも、このときは違いました。

「さすがに伝えに行きました。相当の覚悟を持って(笑)。両親はちょっと寂しそうでしたね。私の応援に来るのを、いつもすごく楽しみにしていたので。」

走りたい気持ちとは裏腹に、末長さんの体は限界を迎えていました。これまで何度も苦しいことを乗り越えてきましたが、最後は自分の状態を受け入れることにしたのです。

「できれば日の丸を背負いたかった」と、末長さんはポツリとつぶやきました。しかし、すぐに顔を上げ、こう続けました。

「でもやりきったし、満足しています。陸上を通じて、たくさんのものを学び、手に入れました。私にとって陸上は、『大切なことを教えてくれたもの』です。これまでいろんな出会いがありましたし、今日こうしてインタビューを受けているのも陸上をやっていたおかげです。だから私は幸せだったし、今もすごく幸せです!」

陸上は成長していく自分がわかるスポーツ

末長さんに陸上競技の魅力を聞きました。

「陸上の魅力は、どんどん変わっていく自分を感じられること。毎日続けることで少しずつ走れる距離が延びたり、体つきが変わっていったり、気持ちが前向きになったり。身体も精神も磨かれていくんです。それに、達成感や高揚感、時には苦しみや挫折を味わって人間的にも成長できますし、一緒に走る仲間や支えてくれる人たちの温かさを知ることもできます。どうですか? 走ってみたくなったはず!」

そう言って笑う末長さんに、マラソンを長く続けるための秘訣を教えてもらいました。

「無理をしないのが一番。最初から頑張りすぎると、きついイメージしかなくなってしまうから。例えば、行きたいところまで走って帰りは歩くとか、特に目標は決めず、『今日はもう疲れたから帰ろう』とか。そうやって続けていたら、いつの間にか長い距離を走れるようになります。人によっては最初に高級なシューズやウェアを買ってしまうというのもアリかも(笑)。」

周南市にある緑地公園あたりでは、毎日市民ランナーの姿を見かけます。軽くジョギングを楽しんでいる人も入れば、しっかりと走り込んでいる人も。その中の一人が、ひょっとしたら末長さんかもしれませんよ。

結婚を機に山口へ。2021年4月から周南市民に!

2020年、結婚を機にご主人の勤務地である山口県下関市に移住してきた末長さん。京都以外の土地に住むのは初めてのことだったそうです。

「実は中学の頃に駅伝の全国大会で山口市にあるセミナーパークには来たことがあって。だから山口といえばそのイメージ。田舎の風景と、とてつもなくキツいコースの思い出しかありません(笑)。」

末長さんが周南市に初めて来たのは、ご主人の実家に結婚の挨拶をするときだそう。セミナーパークしか知らない末長さんは、それまで「山口県=田舎」と認識しており、周南市のまち並みを見た瞬間、「あ、結構まちだ」と思ったそう。

「何せ、セミナーパーク周辺しか知りませんから、結構な田舎に住むんだと覚悟していました。でも、周南市は田舎過ぎないし、都会過ぎないなって。暮らしやすそうなまちで安心しました。」

その後、下関市で約10ヶ月過ごし、ご主人の転勤で周南市に引っ越したのは2021年の4月。同年7月には第一子が誕生し、ご主人のご両親にサポートしてもらいながら、子育てに奮闘しているそうです。

「夫の両親のサポートには本当に感謝しています。実の娘くらい甘えさせてもらっています。」

実は、インタビュー当日は、もうすぐ生後7ヶ月を迎えるお子さんを世話するためにご主人のご両親も同席。インタビュー中はお二人に抱っこされて、お子さんは安心して眠っていました。

ちなみに、末長さんのご主人は中学校の陸上部の顧問。京都で大会があった際に、山口県代表を引率したことがきっかけでお二人は出会ったといいます。そして、なんと、この日同席されたご主人のお父様も陸上の指導者で、現在、総合型地域スポーツクラブ「くめくめクラブ」の会長も務められています。そう、末長家は陸上一家なのです。

「陸上がご縁で夫に出会えましたし、周南市に来れました。(ご両親の方を向いて)だから本当に感謝しています。ありがとうございます!」

平日にリサーチして、土日に走って行ってみる!

長引くコロナ禍、そして、慣れない子育てに追われ、なかなか外出できないという末長さん。平日の日課は、カフェやパン屋さんのリサーチだそう。良さそうなお店を見つけたら、土日を利用して下見に行くそうですが、その下見の仕方が独特。なんと、家から「走って」見に行くというのです。

「『1.2キロ先だから走って5分か。ちょっと見に行ってみよ』という感じです。京都にいた時からだいたい走って出かけてましたから、私にはそれが普通。まちの景色を眺めたり、新しい何かを発見したり、走るのが楽しいんです。これまで陸上しかしてなかったのですが、今も趣味は走ること。」

出産して1ヶ月後には走り始めたという末長さん。自宅を起点に少しずつ範囲を広げているそうです。そんな末長さんに、これまで走った周南市で一番印象的だった場所を聞きました。

「太華山です! 夜景がすごくきれいでした。でも、街灯が一つもないので、帰りはスマホの灯りで道を照らしながら走りました。今度はもう少し早めに家を出ようと思います。カフェで気になっているのは『ガーデンカフェ日日』です。近いうちに下見に行こうと思っています。」

「ガーデンカフェ日日」に向かう途中、女性ランナーがものすごいスピードで追い抜いていったら、それはきっと末長さんです。

出会う人、出会う人、みんなあったかい

周南市に暮らし始めてようやく1年。住み心地はどうなのでしょう?

「特に困ることはなく、不自由なく暮らせています。ただ、コロナ禍で出かけづらいですし、イベントもないので、よそのママさんたちとまだ交流ができていません。ほとんどを家族と過ごしています。早く友だちが欲しいという気持ちはあるのですが、子どもが動き回るようになってからかなと思ってます。」

家族以外との交流がなかなかないと言いつつも、生活のいろんな場面で周南市の人の温かさには触れているそうです。

「赤ちゃんを抱っこしているからかもしれませんが、スーパーで話しかけてもらえたり、カゴを運んでもらえたり。みなさんやさしいですし、地域で子どもを育てるっていう感覚があるんだろうなって思います。そうそう、突然、『これ知ってる?』ってカーペンターズの曲を歌ってくれた人もいます。結構長めの尺で3曲も(笑)。」

もともと「話しかけられやすいタイプ」と自分のことを分析する末長さんですが、交流が限られる中でも、毎日が充実し、楽しいのは、やっぱり家族のおかげだといいます。

「私の場合は、夫の家族と『陸上』という共通点があるので、楽しくやれているんですよね。それは本当にラッキーだと思います。来年は家族で駅伝に出たいねって話してるんですよ。」

その言葉にご両親もやさしい笑顔で頷きます。

望むのは陸上競技場の整備と新設。もっと走れる環境を!

縁あって、周南市に来た末長さんに今度は周南市に望むことを聞いてみました。

「周南市は自然が豊かだし、食べ物はおいしいし、スポーツ関連の施設も充実していて、本当に魅力的なまちだと思います。ただ、陸上競技場が一つしかないこと、そして、その唯一の陸上競技場のトラックが砂地なのは残念です。」

末長さんは「また陸上の話になっちゃった!」と笑うと、続けて周南市の陸上競技の未来を語ります。

「山口県の陸上競技大会は山口市か岩国市、下関市で開催されることが多いと聞き、周南市でも開催できたらいいのにといつも思います。また、現在の砂のトラックではわざわざここに来て練習するメリットはあまりありませんが、陸上競技に適したトラックになればみなさん多少遠くてもきっと足を運ぶと思うんです。つまり、陸上に適した施設ができれば、周南市における陸上競技の強化ができるだけでなく、大会の開催地になることでたくさんの人を呼び込めるので、まちが活性化するんです!」

陸上競技場が生まれ変わる、もしくは新しい陸上競技場が誕生した場合、末長さんがやってみたいことも教えてくれました。

「校区に関係なく周南市で陸上競技をやっている児童や生徒を集めて合同練習を行いたいですね。日頃は一緒に練習できない選手たちから刺激を受けたり、競い合うことで互いに高め合ったり、他校の先生の指導も受けられる。周南市全体の陸上競技のレベルが上がっていくと思います。」

今は趣味程度でランニングを楽しむという末長さんですが、指導者としての道は常に模索しているようです。

とにかく人が好き。周南の人が元気になれることをしたい

最後に、末長さんがこれから周南市でやってみたいことを聞いてみました。

「子どもも好きだし、おじいちゃんもおばあちゃんも好きだし…。とにかく人が大好きなんです! なので、周南の人が元気になれることをしたいですね。陸上競技に関することしかできませんけど。」

末長さんの目標は現役の頃からずっと「自分の走りで人を笑顔にすること」だったそう。子どもたちの「末長さんの走りを見て、私も陸上競技をしたくなりました」という言葉や、療養中の方からの「末長さんの走りを見て勇気づけられ、元気になりました」という手紙をもらうたびに励みになっていたといいます。そして、陸上競技には人を笑顔にするパワーがあると確信しているそうです。

とはいえ、今はまだ子育ての真っ最中。「復帰するのはもう少し子どもが成長してから。最初は夫のお父さんがやってるスポーツクラブから顔を出そうかな」と末長さん。きっとさらにパワーアップして復帰を迎えることでしょう。

「出産することによる体の変化を知り、さらにこの先どんなふうに変わっていくんだろうっていう興味も湧きました。今から子どもと一緒に母として成長することで、いろんなことが見えてくると思います。そうなれば、もっといろんな気持ちがわかってあげられるようになって、よりたくさんのことを伝えられるようになると信じています。」

近い将来、周南市の子どもたちは元ワコールの選手から陸上競技の指導を受けることができそうです。末長さんが頼もしい指導者として戻って来る日のカウントダウンはもう始まっています。


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