地元から世界を目指す若きストライカー。J2レノファ山口FC 河野孝汰選手
レノファ山口FC 河野 孝汰さん
プロサッカー選手。2003(平成15)年、周南市生まれ。親の転勤で年少から一時期、広島県尾道市に住み、兄が所属していたクラブチーム・尾道東JFCに加入してサッカーを始める。小学3年生から萩市に移り、島根県益田市のボアソルテ美都FCに在籍。小学5年生の後半から周南市に戻り、周南市立戸田小学校に転入。その直後からレノファ山口FCアカデミーのU-12に加入し、周南市立桜田中学校在学時はU-15、野田学園高校(山口市)在学時はU-18に昇格。高校1年生だった2019年5月にトップチームに2種登録され、同年11月にJ2のレノファ山口FC×モンテディオ山形戦でJリーグデビューする。2020年7月29日には、16歳11カ月17日で初ゴールをあげ、J2の最年少得点記録を更新。2020年8月1日付でプロ契約を締結。2018年にU-15日本代表、2019年にU-16日本代表にも選出された期待の星。現在は、レノファ山口FCのクラブハウスがある山陽小野田市の練習場を拠点として、チーム練習やトレーニングに励む。ポジションはフォワード。2021年シーズンより、周南市のご当地所属選手としても活動中。
輝く魅力と実力を兼ね備えたサッカー界期待の19歳!
高校1年生の頃からレノファ山口FCでプレーしている河野孝汰選手。2020年には、16歳11カ月17日でJ2最年少ゴール記録を塗り替えるという偉業を達成しました。山口県のみならず、いずれは日本のサッカー界を担う人材として注目されています。
華々しい実績の一方で、人柄はいたって飾らず自然体。爽やかな笑顔、俊敏な身のこなし、そして、表情には19歳らしい無邪気さを残しています。しかし、その口から発せられる言葉にすでに宿っているのは、プロとしての確固たる信念。一つ一つの質問に対して、自身の思いを極めて誠実に、驚くほど理路整然と語ってくれます。実力はもちろん、明るくすがすがしいその素顔を知れば誰もがファンになってしまうような、吸引力のある魅力を持った選手です。
過去の実績は関係ない。今もがいて未来の結果につなげたい
U-15、U-16の日本代表にも選ばれた河野選手。これまでの輝かしい道のりについて、本人の捉え方は非常に冷静かつ前向きです。
「そういったところ(アンダー日本代表)には自チームで結果を出さないと呼ばれないと思いますし、毎日毎日、必死にやらないとたどり着けないので。今は代表に入れてないですけど、ここから、もがいてあがいて結果を残して……本当に、これからだと思います。過去のアンダー日本代表歴などは関係なくて、『これから自分がどうやっていくか』っていうところにかかってくると思うので、日々の練習から100%でやりたいと考えています」
兄の影響でサッカーを始め、練習に熱中した幼少期
10代ながらプロとしての高い志と実力を持つ「河野孝汰」という選手は、どうやって形づくられたのでしょうか。その生い立ちを振り返ってみましょう。
周南市で生まれた河野選手は、年少の頃、親の転勤で広島県尾道市へ移りました。そこで5歳上の兄が入っていたクラブチームに加入し、サッカーを始めます。その後、萩市への転居も経て、小学5年生の後半から再び周南市へ戻り、市内の戸田小学校に通うことに。居住地が二転三転しても、その場所で参加できるチームを探し、河野少年はずっとサッカーの練習に打ち込み続けました。萩市に住んでいた頃は、島根県のクラブチームに通っていたそうです。
レノファでプロになりたい、山口県を盛り上げたい!
そんな幼少期から一貫して「サッカー選手」になりたかったという河野選手。とりわけ「プロ選手」を具体的に目指し始めたのは、レノファ山口FCのユースチームに所属したことがきっかけでした。
周南市へ戻ってきてすぐ、小学5年生からレノファ山口FCアカデミーのジュニアチームであるU-12に所属。2015年ごろのその当時、レノファ山口FCのトップチームの選手たちが、JFL、J3時代の試合に出場していました。先輩方が懸命に戦う姿をたびたび観戦するうちに、「自分もここでプレーしたい。レノファでプロサッカー選手になりたい!」と強く願うようになったのです。
そして、中学校時代はレノファ山口FCアカデミーのU-15(ジュニアユース)に、高校時代はU-18(ユース)に昇格。高校1年生だった2019年に2種登録(※)され、同年11月にJリーグデビューを果たしました。2020年8月1日付でプロ契約を締結。念願のプロ選手となり、出身地である山口県のチームでプレーすることに日々、喜びを感じているそうです。
※2種登録……ユースチーム(18歳以下)の選手がJリーグの公式戦へ出場できるように登録申請すること
「地元のアカデミー育ちの生え抜きの選手の一人でもありますし、そういった選手が活躍することで山口の方々に与えられる勇気というのは、県外出身の他の選手よりも人一倍与えられると思います。身近な人が応援してくれるという自分自身の喜びもありますし、自分がプレーすることで『あ、この子、知ってる!』って以前から知ってくださっている方々も嬉しさを感じてくれていると思うので、自分が活躍して山口県を盛り上げていけたらな、と考えています」
良き先輩方から学び、「選手としての心構え」を確立
小学生時代からプロサッカーチームのユースチームに在籍していたことは、技術面の向上だけでなく、選手としての“心の成長”にも大きく影響を与えたようです。
「『選手としてどう在るべきか』といったことは、ベテランの方に話を聞いたり、教えてもらったりしてきました。本当に良い先輩、良い選手が身近にいて、そういった方々から吸収できる環境なので。うまい人のプレーを見て盗むように、そういった学びも無駄にしないように小さい頃から心掛けてきたのが、今につながっているのかなって思いますね」
常に一本筋の通った考えを、適切な言葉で流れるように語る河野選手に感服させられます。プロスポーツ選手は、身体技術の巧みさだけでなく、自分と周囲を見渡す俯瞰力や、自分自身と向き合う精神力も必須。だからこそ優秀な選手は、自らをプラスの方向へ導く思考の使い方も秀逸なのだと実感できました。
「頭は良いほうではないですよ、自分も(笑)。トンチンカンなところもありますけど、そういった人間性の部分っていうのは、サッカー選手である以上、良いに越したことはないので。人間性の面も負けないように磨いていきたいですね」
座右の銘は「勝負の神は細部に宿る」
この言葉は、河野選手が高校1年生の頃、当時レノファ山口U-18の監督だった山本富士雄さん(現在は、ブランデュー弘前FC監督)が元日本代表監督・岡田武史さんから伺ったという。「練習やトレーニングを含め、試合に対しての準備力だったり、行動だったり、そういった一つ一つがピッチにつながってくるんだよ」この言葉を念頭に置いているそうです。
「自分はケガが多いのもあって、オフ・ザ・ピッチでのふるまいだったり、自分の行動の仕方だったり、食生活だったり、本当に細かいところに気を遣わないと、これからのサッカー人生に響いてくるっていうのは感じたので。今もずっと大切にしている言葉です」
このように少年時代から培ってきたプロ意識や精神力は、苦境に陥ったときにこそ役立ちました。
ケガでサッカーから離れた苦しい一年もプラスに昇華
河野選手は、2021年の9月末に左アキレス腱断裂という大ケガを負い、2022年シーズンはリハビリからのスタートとなりました。結局、約1年もの間、サッカーの実戦から離れるという苦しい日々。しかし、その中でもいろんな経験ができて、自身の中では「とてもプラスとなる濃いシーズン」になったそうです。
「それまでもケガで3カ月ほど休んだことはありましたが、ここまで長くサッカーから離れる経験はしてこなかったので。正直、どん底というか、焦った時期もありましたが、“人生の壁”と言ってもいいぐらい、一つの大きな壁にぶち当たって『サッカーをやることが当たり前じゃないんだ。やれるだけで幸せなことなんだ』ってことを誰よりも感じました。だからこそ、『サッカーに対しての考え方だったり、サッカーにかける想いだったりは、誰にも負けちゃいけないな』って強く感じた期間でした」
悔しい経験を今シーズンのプレーに生かしたい
2022年シーズン、河野選手は足のケガでチームの練習にも参加できず、クラブハウスのジムで上半身など可能な部位のトレーニングを続ける毎日でした。長い期間、サッカーから離れて口惜しい思いをした分、今シーズンへの意気込みは、なおさら熱いようです。
「長くサッカーができなかった、その悔しかった空白の経験を生かして、今シーズンはスタートからアピールしていきます。ワンシーズン通して高いパフォーマンスが発揮できるように、結果を残していけるように、強い気持ちを持っていきたいと思います!」
おさな心に感動した工場夜景や、なつかしい思い出のお店
河野選手は、サッカーに専念するために中学卒業後から親元を離れ、高校時代は山口市の野田学園高校で寮生活を送りました。中学3年生まで暮らした周南市の思い出について聞いたところ、好きな風景として真っ先に挙がったのが周南コンビナートです。
「コンビナートはそれこそ、“景勝”の一つと言えますよね。小さい頃、どこかへ車で外出して夜、家に帰るときに、工場がキラキラ光って並んでいるのを、お父さん、お母さんが『ほら、キレイよ』と教えてくれて。高速道路のバイパスからも見えたりしますよね。あのときに見た夜の風景っていうのは、本当にキレイだなぁって感じました」
思い出のお店については、イオンタウン周南などが印象に残っているようです。
「イオンタウン周南では、ゲームセンターに遊びに行ったりしてましたね。年末は(同敷地内にある)ヒマラヤスポーツの福袋を並んでよく買いに行ってたなぁって思い出します。あと、ラーメンショップ 椿峠店のネギラーメンは小さい頃から大好きでよく食べてましたね……って、ここはギリギリ周南の隣の防府市のお店でしたね(笑)。戸田から近いんですよ」
地元・戸田地区の人と人との心の近さ、温かさ
河野選手の地元である戸田は、周南市の中でも比較的、ご高齢の方が多い地域。それゆえに、しみじみと感じられる良さがあるそうです。
「小さなことかもしれませんが、おじいちゃん、おばあちゃんが多い戸田のまちでいつも、近所の方にあいさつすると絶対、あいさつが返ってくるんです。そういったことは都会とかではあまりないと思います。戸田は、住んでいる地域の方々のお互いの心の近さというのはすごく感じて、温かいまちだなぁという風に思っていました。心から落ち着ける場所なので、たまに戸田に帰ってきたときは、実家でゆっくり過ごすことが多いですね」
地元の方々からの応援をプレッシャーではなくエネルギーに変換
若くしてプロになり、周囲からの熱い視線を受ける河野選手。周南市を含め、山口県のファンから「がんばって! だけど、これをプレッシャーに感じないでね」とよく言われるそうです。
「応援に対して、自分がプレッシャーとして感じないようにしないといけないなって思いますね。それをエネルギーに変えていかないと、これから活躍できないと思うので。期待や応援を自分の中でエネルギーに変えて試合にぶつけられるような、そういう選手になりたいです」
山口県から世界で活躍するエースストライカーを目指す!
今後の目標について伺うと、河野選手は真っ直ぐな目でこう答えてくれました。
「自分は海外でも活躍できるようなセンターフォワード、エースストライカーになりたいとずっと言い続けていて。それに向けて、A代表(日本代表)にも加わっていけるような、世界に通用するようなサッカー選手になっていきたいな、と思っています」
まずは目の前にある課題として、レノファ山口FCのチーム全体で良い結果を出すことを一心に考え、練習に励んでいるとのこと。
「自分たちが目指しているJ1昇格が達成できるようにチーム一丸となっていくので、応援よろしくお願いします!」
ケガから復帰し、2023年は復活の年。昨シーズンの悔しさをバネにして、サッカーができる純粋な喜びを胸に、闘志あふれるプレーで山口県を沸かせてくれることでしょう。2023シーズンの開幕は2月18日の土曜日。ホームの維新みらいふスタジアムに大宮アルディージャを迎えます。たくさんの声援を皆さんと届けましょう。ますますの活躍が期待される河野選手から目が離せません!
執筆時期:2023年2月
記事:比嘉 里江
写真:髙木 美杜 https://www.instagram.com/oimo.club/
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