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自分たちが美味しいと信じるものを

自宅の庭先の茶の木から地域ブランドを。「鹿野和紅茶」開発プロジェクト

周南市北部に位置し、錦川の源流から流れる美しい水と澄んだ空気を有する自然豊かな鹿野地域。ここでは、古くからお茶の生産が盛んで、昭和初期には約8トンものお茶が生産されていました。

現在でも、田植えの終わる時期に、農家では一斉に茶摘みが始まります。そこでは、脈々と受け継がれてきた「手摘み、手揉み、釜炒り、天日干し」の昔ながらの製法でお茶が作られています。

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豊富な資源を、時代にあった特産品へ

近年は自家用が中心で、小規模生産となったものの、かつての名残から今も、鹿野地域には自宅の庭先、畑や野といった身近なところに茶の木が自生しています。
そんな鹿野地域の豊富な資源を活かし、お茶文化の復興を行いたい。そして、鹿野地域の経済の循環を目指したい…という想いから、平成27年、『鹿野和紅茶』の開発に向けたプロジェクトが始動します。

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道端に茶の木が並ぶ鹿野の景色

海外から輸入される紅茶に対して、国産の紅茶は「和紅茶」と呼ばれています。清涼飲料水やペットボトルのお茶の台頭により、茶葉から抽出して飲むお茶の需要が減少している中で、歴史ある鹿野茶を、時代の流れや需要に合った特産品『鹿野和紅茶』として製造することに着目しました。

最初にプロジェクトの主体として立ち上がったのは、石船温泉やせせらぎ・豊鹿里パークを運営する一方で、特産品の開発や販売などにも力を入れている「株式会社かの高原開発」。その石船温泉の女将である岸田さん(写真右)と、せせらぎ・豊鹿里パークの従業員である竹本さん(写真左)の2人が声を上げました。それが平成27年の出来事です

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開発までの道のり

和紅茶の開発は、茶葉の収集から始まります。まずは、石船温泉のサロンに通う高齢者の方々に協力して頂き、自宅の茶の木から茶葉を摘んで来てもらうことにしました。
「最初の頃は、人によって摘んでくる茶葉の質が全然違いました。鹿野和紅茶の品質にばらつきが出たらいけんと思って、摘んで来てほしい茶葉の形とか色、硬さを具体的に教えたんよ。」と岸田さんは話します。

そうして集まった茶葉について、協力してくれた地域の方々へ、かの高原開発から、収量に応じた報酬をお返しすることで、「少額でも楽しみながら取り組みたい」「地域の役に立ちたい」といった声をいただくなど、退職後の高齢者の方の生きがいの創出にもつなげています。

また、地域に眠る茶の木をもっと活用したいという想いから、鹿野地域の茶の木を探したり、茶の木を有した方の元を訪問し、茶葉をもらえるよう交渉を重ねました。

そんな人々の協力もあってか、今では地域で摘める茶の木が増えており、岸田さんや竹本さんも茶葉を摘みに出かけているそう。摘み頃の茶葉を見ると、「この茶の木は摘める。葉っぱが柔らかいうちに早よ摘まんと。」と気持ちが急くようになりました。

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自分たちが美味しいと信じるものを

お茶の生産方法は知っていても、和紅茶への加工は初めての取り組みでした。視察のために、平成28年に福岡県八女市、翌年の平成29年には島根県出雲市を訪れたり、試作したお茶を様々な方に試飲してもらうなど、しばらく手探りで加工をしていきました。

加工のために、揉捻機(茶葉を揉む機械)を始めとする加工用の機械を導入しましたが、なかなかうまくいかず、加工所に1日籠った日もありました。
和紅茶の生産を始めた最初の年のことを、岸田さんと竹本さんはこう振り返ります。「摘んだ時期が悪かったのか茶葉が硬くて、なかなか揉捻できんかった。すごい時間がかかったねえ。」

その後、初夏から夏の終わり頃までに摘んだ茶葉を1年中加工できるようにするため、令和元年には山口県産業技術センターを訪問。そこで、茶葉に含まれる水分を取り除くことで香りを出やすくすし、冷凍する方法を学びます。ほかにも、鹿野和紅茶の味の正解を求めるべく、日本茶専門店を多数訪問。そこで出会った日本茶インストラクターの方から助言をもらいました。

岸田さんと竹本さんは、「日本茶インストラクターの方から、『紅茶は嗜好品なので、味の正解を求めるのは難しい。自分たちが美味しいと信じるものを作っていけば良いんです。』と言ってもらった時は、なんだかすっきりしました。迷わんと作っていこうと思ったんです。」と気持ちが新たになったことを話してくれました。

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パッケージ作業も鹿野で

和紅茶に加工したら、次はパッケージ作業です。鹿野地域の経済を循環させたいという思いから、パッケージ作業も鹿野地域で行おうと考えました。

そこでお願いしたのが、社会福祉法人鹿野福祉会が運営する、障がいを持った方へ就労継続支援を行う「ふれあい作業所鹿音(かのん)」です。
鹿音では、茶葉を測ってティーバッグに入れ、それを外袋に入れるという作業が行われます。細かな手作業が必要となるため、障がいを持った方が作業しやすいよう、施設の職員と何度も話し合いを重ねました。

ここでは、かの高原開発から鹿音に作業工賃を支払うことで、鹿野地域の経済の循環を図るとともに、農副連携の仕組みの構築を試みています。

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岸田さんこだわりのパッケージデザイン

鹿野地域の魅力がより発信できるよう、パッケージデザインにもこだわりました。デザインは鹿野ブランド創出研究会に所属する方に依頼しています。

外袋の淡いピンクは岸田さんの意向から採用されました。

「鹿野和紅茶の優しい味わいを表現したかったんよ。それに、ピンクだと商品棚に並んだ時に目立つからね。」と岸田さんは笑いながら話します

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こうして決定した商品名は「鹿野和紅茶和(なごみ)」。

「和(なごみ)」には、「鹿野和紅茶和(なごみ)」を飲んでほっと和んでほしいという思いや、生産に関わる人々の「和(わ)」の意味を込めています。

カフェ等のお店でドリンクメニューとして提供する際、一目で「鹿野和紅茶和(なごみ)」だと分かってもらうために、ティーバッグの先に茶葉の形をしたタグを付けています。

これも、「ただの四角や丸のタグだと面白くないから、茶葉の形にしたい。」という岸田さんの発案がきっかけでした。

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みんなの和みの時間のお供に

こうして完成した「鹿野和紅茶和(なごみ)」は現在、石船温泉、ふる里マルシェかの、道の駅ソレーネ周南、徳山駅前図書館、まちのポート、オレンジカフェ等で販売されています。
もっといろんなところで手に取っていただけるよう、生産量の向上や作業の効率化に向けて、これからも取組みを進めていきます。

「鹿野地域には、まだまだ眠っとる茶の木がある。せっかくある資源を使わんともったいない。茶の木を探して、摘む人を増やして、いろんな人を巻き込みながら取組みを広げていきたい。」と岸田さんは話します。

鹿野地域の茶葉を鹿野地域で和紅茶に加工し、鹿野地域でパッケージする。鹿野地域のいろんな人が関わっている「鹿野和紅茶和(なごみ)」を通して、これからも鹿野地域の経済の循環、お茶文化の復興を目指します。

【鹿野和紅茶は、周南市のふるさと納税返礼品としてお取り寄せいただけます。】

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プロフィール

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岸田 佐津枝さん(写真:右)
広島県廿日市市出身。夫の独立をきっかけに、昭和47年に周南市鹿野地域(旧:鹿野町)へ移住。平成9年から、鹿野地域にある「石船温泉」で女将を務めている。

竹本 範子さん(写真:左)
山口県美祢市出身。結婚をきっかけに、昭和58年に周南市鹿野地域(旧:鹿野町)へ移住。平成18年から、鹿野地域にある「せせらぎ・豊鹿里パーク」に勤めている。

株式会社かの高原開発
〒745-0302 山口県周南市鹿野上3516
TEL:0834-68-1234







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