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2つのギネス世界記録を持つ、周南市出身の潜水士!

徳山海上保安部 潜水士 安達 健太さん

1987年、周南市生まれ。徳山商工高等学校(旧徳山工業高等学校)在学時に映画「海猿」に出会い、潜水士を目指すように。高校を卒業後、福岡県の公務員専門学校を経て、京都府の海上保安学校に入学。1年をかけて海上保安官に必要となる知識・技能を習得し、卒業後は徳山海上保安部に配属。選抜試験をクリアし、2ヶ月間の厳しい潜水研修を受けた後、念願の潜水士に。その後、香川県、鳥取県、再び香川県に赴任し、2022年春に徳山海上保安部に着任。現在は、巡視艇「なつづき」の主任航海士を務める。趣味は筋トレで、「懸垂(順手)」、「ぶらさがり」の2種目でギネス世界記録を持つ。

海の美しさと安全を守る「海上保安官」という仕事。

四方を海に囲まれた島国・日本。私たち日本人にとって海は、とても身近な存在であるとともに、絶対に切り離せない存在でもあります。そんな海を守っているのが海上保安官、いわば海の警察官です。

海上保安官の主な仕事は大きく分けて3つ。1つ目は、密輸や密航など海における犯罪の取締りや海難救助などを行う「警備救難業務」。2つ目は、水深や海流、海底地形などを調査する「海洋情報業務」。そして3つ目は、灯台などの建設や整備、保守を行うことで海上交通の安全を確保する「海上交通業務」です。

海上保安部が属する海上保安庁は、日本の海を11のエリアに分けて業務を行っています。その中の一つ、第六管区海上保安部は、岡山県、広島県、山口県東部、香川県、愛媛県を管轄し、瀬戸内海の大部分と宇和海を担任水域とし、周南市那智町にもその事務所である徳山海上保安部を構えています。

その徳山海上保安部で潜水士として働いているのが周南市出身の安達健太さん。潜水士歴約10年のベテランです。香川県や鳥取県の事務所に赴任した後、2022年春に念願の地元への配属となりました。

きっかけは映画「海猿」。目に焼きついた潜水士の姿。

2022年末に徳山海上保安部に配備されたばかりの巡視艇「なつづき」で、現在、主任航海士を務める安達さん。潜水士という仕事を選んだきっかけは、高校の頃にテレビで見た1本の映画でした。

「初めは高校を出たら警察官になるつもりでした。憧れというより、友人との張り合いから。高校の体力検査で私はいつも2番。1番をキープする友だちが消防士になると言うので、『じゃあ俺は警察官だ!』と(笑)。でもある日、テレビで映画『海猿』をたまたま見て、潜水士たちが働く過酷な現場に衝撃を受けました。」

高校時代、潜水士という仕事を初めて知った安達さんは、当初「こんな危ない仕事は絶対に嫌だ!」と思ったそうです。それなのに、だんだんと自分の中で認識が変わったと言います。

「海上保安官はいわば海の警察官。だとすれば、自分が目指すものと一緒だなと。それに、命をかけて海の美しさや安全を守るなんて、とても尊く、意味のある仕事。こんなに人の役に立てて、誇りを持てる仕事が他にあるだろうか…、いつの間にかそんな風に思っていました。」

海上保安学校に入学するために、高校を卒業後、まずは公務員専門学校に進学。そこで1年間、学科試験と作文試験の対策をしっかりと行い、翌年の春、安達さんは見事、海上保安学校に合格したのです。

海上保安官のうち潜水士は約2%。狭き門へ挑戦!

海上保安学校を卒業し、地元にある徳山海上保安部に配属された安達さん。しかし、安達さんにとってゴールはここではありません。憧れの潜水士には、まだ一歩近づけただけ。次は潜水士になるための選抜試験に挑みます。

「潜水士になれるのは海上保安官のうちたったの2%程度。毎年全国で10数名しかなれない狭き門です。各管区で選抜試験が行われ、1位、2位を取った者だけが潜水訓練に臨めます。なので、まずは選抜試験の突破が絶対条件です。」

選抜試験の内容は、陸上種目が懸垂、50m走、1500m走の3つ、水泳種目が25m潜水、50mクロール、50m平泳ぎ、そして300m自由形の4つ。それに加えて面接があります。安達さんは日々の業務と並行して選抜試験のためのトレーニングを重ねました。

「体力勝負の潜水士は20代前半が多く、中には21歳という若者も。試験を受けた時点で私はすでに20代半ばに差し掛かった24歳。試験を通過し、研修を終えて潜水士になる頃には25歳。この25歳という年齢は、潜水士では上の方になります。でも、体力には自信がありましたし、泳げないわけでもない。陸上種目もどちらかと言えば得意だったので、選抜試験は大丈夫だろうという気持ちはありました。」

そして、想定通り選抜試験を通過した安達さんは、次のステップの潜水訓練に進みます。

想像を遥かに超える厳しい潜水訓練も、周りの応援と気概でクリア。

選抜試験通過後、広島県呉市で2ヵ月間にわたる潜水訓練を受けた安達さん。1ヵ月はプールで、1ヵ月は海で実施されるこの潜水訓練を終えて、ようやく潜水士になれるのです。

「この2ヵ月間は本当に辛かったです。体もメンタルもボロボロになって、もう毎週のように休みの日は母に電話をし、『もうダメかもしれない』と弱音を吐いていました。でも、水の中で仕事をすることの厳しさを、ここで身をもって実感できたことは非常に大きかったです。それだけのことを我々はやろうとしているのだと、潜水士として生きる覚悟ができました。」

そんな安達さんを支えてくれたのは、ずっと応援してくれている家族や友人だったそう。そして、「ここまで来たのだから!」という気概だったと言います。

「自分で決めたことだし、周りからの期待もあるし、もう後には引けないっていう思いが強かったです。もし、自分の体が壊れてしまったのなら諦めざるを得ませんが、そうではない。『自分自身がどうするか』だったので、なんとかやり遂げたいという思いで突き進みました。」

辛い潜水訓練をクリアし、ようやく潜水士になれた安達さんは、この時から現在に至るまでの約10年間、第六管区の海を守るためひたすら向き合い、今もなお現役として活躍しています。

理想と現実のギャップはあるが、全てのひとに誇れる仕事。

潜水士として働く中、抱いていた理想と現実の違いについて安達さんが教えてくれました。

「映画やドラマでは人命救助がメインに描かれがちな潜水士ですが、実際は業務の8割が捜索や調査です。華やかさがないと思われるかもしれませんが、海難事故が少ないことはとても素晴らしいことですし、日々海を守っていることは私たちの誇りです。」

「もちろん、誇りだけではない」と安達さんは続けます。水の中での業務には、場合によって死の恐怖も伴います。

「潮の流れが早く、深さもある来島海峡での作業時、ロープを辿って水深35mまで達したことがあります。『ああ、このロープを離したら…』と突然恐怖が襲ってきました。そのときに救いとなったのは仲間たちの存在です。私たち潜水士は常にチームで行動します。それぞれが役割を果たし、連携を図ることで、ひとつの任務を遂行するのです。信頼し合える関係性、支え合うことの大切さもまた、潜水士になったからこそ学べました。」

潜水士歴も10年を超えると、だんだんと引退の日を考える時期に差し掛かってくるのだそう。

「私にできることは、日々の業務をこなしながら、後輩たちにスキルや知識を引き継ぐこと。もちろん、必要とされる限り、潜水士を続ける気持ちはあります。」

潜水士ならではの身体能力!? 懸垂とぶらさがりで世界記録に。

実は安達さん、潜水士だけでなく、ギネス世界記録保持者としての顔も持っています。

「2022年5月に懸垂、2023年1月にぶらさがりと、2つの項目でギネス世界記録に認定されました。」

安達さんの記録は、懸垂(順手)が連続651回、ぶらさがりが1時間20分41秒。それぞれ驚きの記録です。しかも、もともと懸垂は苦手で、潜水士としてのパフォーマンスを発揮するために日々トレーニングはしていたものの、ギネスを意識するまでは、懸垂に特化した訓練もしていなかったそう。

「懸垂には苦手意識があって、海上保安学校時代も体力検定で満点が取れる21回がギリギリ。その後、潜水士になるための選抜試験に向けて30回はできるように練習したのですが、試験があったのが2月の雪が降る日で、この日もギリギリの21回しかできませんでした。」

ところが毎日トレーニングする中で、たまに自分でも驚くくらい調子の良い日が訪れるようになったのだそう。

「自分でも不思議なんですが、急に40回できるようになって、そこからは50回、70回、120回…と、どんどんできるように。230回できたとき、『もしかして、今の時点で世界一では?』とふと思ったんです(笑)。」

調べてみると、当時、懸垂の世界記録は逆手で612回だったのだとか。安達さんはガッカリしつつも、とりあえず300を目指して懸垂を続けることに。すると、そこから2〜3ヵ月経ったある日、記録は一気に430回まで伸びたのでした。

「これならいけるかもと、東京にあるギネスワールドレコーズジャパンに問い合わせ、記録挑戦を申請しました。数ヵ月後に無事申請は完了しましたが、届いたガイドラインを見ると15秒ルールが明記されていました。」

15秒ルールとは、「15秒以内に最低1回は懸垂をする」というルール。安達さんは「これは厳しい…」と感じたそうです。それから3ヵ月間、15 秒ルールに慣れるための練習を重ねた安達さんは、2022年3月に本番を迎え、見事世界記録を更新! 1時間27分をかけて651回という新記録を叩き出したのでした。その後、安達さんの記録を知ったひとがSNSつぶやいた「ぶらさがるだけだったら、安達さんはどれくらいいけるんだろう?」というひと言がきっかけとなり、次はぶらさがりに挑戦することに。

「実はぶらさがりは懸垂よりも大変。ずっと握っていなきゃいけないし、動いてもダメ。だんだん血が巡らなくなるので、肩や指先の痛みとの戦いでした。」

結果、前回の世界記録、16分3秒を大幅に超える、1時間20分41秒というタイムを出した安達さん。2冠達成でも偉業ですが、どうせならと3冠目への挑戦も検討中だそうです。

しかし、安達さんにとって2冠達成の喜びよりも大きかったのが、このギネス世界記録認定を機に多くのマスコミに取り上げてもらえ、海上保安官、そして、潜水士という仕事をたくさんのひとに知ってもらえたことだと言います。

「多くのひとに私たちの仕事を理解してもらえ、子どもたちに『将来は潜水士になりたい!』と思ってもらえているのなら、私の懸垂は何よりも意味があったのだと思います。」

困ったら118番へ! 事前連絡と救命胴衣、携帯電話もお忘れなく。

ギネス世界記録認定で一躍時のひととなった安達さんですが、最後は海上保安官、潜水士らしく夏のレジャーの注意点を教えてくれました。

「海水浴をする時は、どんな場所でも注意してもらいたいです。深いところや、流れが早くなる狭いところには近づかないでください。また、天候の悪い日、波の荒い日は無闇に海に出ないでください。」

安達さん曰く、「夏のレジャーを楽しむ際には、①救命胴衣の着衣、②携帯電話の保持、③保護者や友人に行き先や予定の事前連絡、④万が一海難に遭遇した場合は海上保安庁につながる118番への通報の4つを守るのが大切で、また、「浮いてさえいれば助けることができます」と安達さんは続けます。浮き輪があればベストですが、空のペットボトルや空気を入れて膨らませたビニール袋などでも一時は凌げるそう。海に出るときは、万が一を想定して十分な準備をお願いします。」

「ただ、海で遊ぶことも大事。ルールさえ守れば何の問題もありません。周南市の子どもたちには今しかできないことを思いっきりやってもらって、海での楽しい思い出をいっぱいつくってもらって、大人になったとき、海を美しく保ちたい、海の安全を守りたいと海上保安官になってもらえたら最高に幸せです!」

常に海のことを、次世代のことを意識しながら潜水士として突き進む安達さん。「浮いてさえいれば」と語る頼もしい表情が印象的でした。3つ目のギネス世界記録認定の朗報も期待しています!

海上保安部の仕事は多岐にわたる。貴重な経験を積めるのが魅力。

徳山海上保安部の在籍者のうち、周南市出身はギネス世界記録で巷を賑わせた安達さんだけではありません。2022年4月より徳山海上保安部長を務める椎木紀文さんも、周南市で生まれ育ったお一人です。ちなみに地元出身者が部長に就任するのは、徳山海上保安部では初めてのことだそうです。

「就職して約30年、希望が叶い、ようやく周南市で勤務できることとなりました。しかも徳山下松港開港100周年というまたとない機会にも立ち会え、とてもいいタイミングに感謝しています。これまでは北海道や東京などで勤務し、世界一周の航海も3度ほど経験しました。海上保安部に入ったからこそ得られた貴重な経験です。」

椎木さんは、海上保安部には安達さんのように「人の命を救いたい」と潜水士を目指すひともいれば、海上・陸上を問わず広くさまざまな業務に関わるひともいると話してくれました。そんな椎木さんに、海上保安部で働く魅力を聞いてみました。

「尖閣諸島に関する対応をしたり、『自由で開かれたインド太平洋』の一環で日米合同訓練をしたり、内閣官房の方々と関われる仕事をしたりと、陸上にもいろんな業務があります。世界とつながった多岐にわたる仕事に携われることも、海上保安部で働くことの大きな魅力です。」

長らく海上保安部の仕事に心血を注いでこられた椎木さん。部長になった今、海上保安部がどんな仕事をしているのかを周南市の子どもたちに発信し、「将来は海上保安部で働きたい」と思ってもらうことも自身に課せられた使命と言います。

「どんな仕事も向き・不向きがありますが、まずはやってみないとわかりません。無理だと思っていたことが、意外と自分には合っていたりしますから。実は私も最初は船酔いがすごくて…(笑)。でも今はすっかり克服し、日々やりがいや達成感を味わいながら業務に取り組んでいます。周南市の子どもたちには、海上保安官になる、ならないに関わらず、何事にも挑戦できる心を持ってもらいたいですね。」

最後に、椎木さんにも夏のレジャーの注意点をお聞きしました。

「コロナ禍がようやく落ち着き、今年はオープンする海水浴場がほとんどです。海の上は、急に風向きが変わったり、急に風が強くなったりと、状況が大きく変わることが多々あります。特に前線が通過した後などは、細心の注意を払う必要があります。中でも小さな船で海に出られる方は、ぜひ天候にご注意ください。」

椎木さんのお話で、これまで知らなかった海上保安部について理解が深まり、少し身近な存在になった気がします。海に囲まれた日本ですから、子どもたちの「なりたい職業」の一つに、「海上保安官」という答えが当たり前に返ってくるようになればいいなと思いました。

子ども時代を過ごした周南市は、楽しかった思い出ばかり。

周南市で生まれ、3年生まで周陽小学校に通っていた潜水士の安達さん。「小学校の頃はイケイケでした(笑)」と当時を振り返ってくれました。いつも友だちを引き連れ、ドッチボールも強く、絵に描いたようなとっても活発な男の子だったと言います。

「父と一緒によく『万葉の森』に行き、どれだけ体力があるんだっていうくらい動き回って遊んでいました。でも、海はそんなに好きじゃなかったかな。父が大津島出身なので、泳ぐのは祖父母の家に里帰りしたときくらいです。その時に海で泳ぎを教わりました。」

楽しそうに父子の思い出を語る安達さんですが、小学4年生で下松市に引っ越すことに。今も実家があるというその地域は、下松市内でも自然が豊かな地域。ガラッと環境が変わったことで、100がゼロになるくらい、目立たない子どもになったそうです。

「仲の良かった友だちと別れ、遊び慣れた場所を離れ…、すると、まるっきり違う子どもになりました。あんなに得意だったドッヂボールまで下手になったんですよ! 環境が変わるとひとってこんなに変わるんだと自分でも驚きました。」

その後、徐々に下松市に馴染み、中学校生活も楽しく過ごしたそうですが、性格は比較的おとなしいままだったそうです。そして、高校進学を機に安達さんは再び周南市とのご縁をつなぎます。安達さんが進学先に選んだのは、徳山商工高等学校(当時は徳山工業高等学校)でした。

懐かしいまちなみや顔ぶれに囲まれ、楽しく過ごした高校生活。

下松市の中学校を卒業後、安達さんは徳山工業高等学校に通い始めます。周南市の高校を選んだ理由は、父親の母校であることと、テニス部があること。また、高校卒業後は進学せず職すると決めていたので普通科は選ばなかったそうです。

徳山工業高等学校に通い始めた安達さんは、懐かしいまちなみや、幼馴染や友だちとの再会で、以前の活発だった自分が戻ってくるような感覚があったそうです。

ただ一つ、大変なこともありました。安達さんは下松市から高校まで、約1時間かけて自転車で通っていたのです。

「実は、父が職場のある築港町まで自転車で通っていたんです。『お前は俺よりも若いじゃないか』と言われ、とてもじゃないけど電車通学できる雰囲気ではなかったです(笑)。でも、この学校までの行き来が、私の体を鍛えてくれたのだと思っています。」

安達さんは大人になった今、高校時代の通学路を自動車で通るたび、「よく自転車で通っていたな…」と思うそう。そして、変わらない場所、変わってしまった場所を眺めながら、当時に想いを馳せているそうです。

「昔を懐かしみながら車を運転することが多くて、『ああ、ここもよく歩いていたな』とか『昔はよくバスに乗ってたな』とか。先日は子どもと一緒に岩徳線に乗ってみたりして、子どもの頃や高校生の頃とは違った視点で周南市を見ています。」

今はなくなってしまったボウリング場やカラオケボックス、映画館、ゲームセンターなど、周南市には数えきれないほどの思い出あり、安達さんにとってまさに「青春のまち」なのだそう。

「青空公園の近くにある“シェーク”には今も時々行くんですよ。当時と変わらない安くてボリューム満点のポテトが無性に食べたくなるんです。移転して場所は変わりましたが、なくならなくてよかった。これからもずっとあり続けてほしいです。」

他県に行って初めて気づいた周南市の人々の温かさ。

徳山海上保安部で5年を過ごした後、他県へと異動し、2022年春に数年ぶりに周南市に帰ってきた安達さんには、一度離れたからこそ気づけた周南市の魅力があると言います。

「周南市のひとは温かいなって思います。親切だし、優しいし。これは最大の魅力だと思いますね。離れている間に『自分にとって一番居心地がいいのはやっぱり周南市なんだ』と気付かされました。」

さらに、手を伸ばせばなんでも手に入る住みやすさと、子育てに力を入れている市の方針も魅力だと話してくれました。

「都会に比べたら田舎ですが、田舎すぎないところが好きです。あまりにも都会都会しているまちより、私にとってはずっと住みやすいです。新幹線の駅や高速道路のインターなど、アクセスの良さも申し分ない。それに、出産・子育て応援事業が充実していますし、今後、中学生までの医療費が無料になると聞いています。他県出身で周南市に家を建てている潜水士仲間もいますし、それだけ住みやすいんだと実感しています。」

安達さんは改めて気付かされた周南市の魅力をもっともっと発信したいと言い、「私のギネス世界記録が、潜水士という仕事だけでなく、周南市を知ってもらえるきっかけになれば」と微笑みます。

最後に、「安達さんにとって周南市はどんなまち?」という質問に答えていただきました。

「『何かあったら戻って来たいまち』、ですかね。これから先、また配属先が変わって周南市を出ることがあっても、いずれは戻って来たいです。そして、海上保安部の一員として、潜水士として、地域の海を守ることで私を育ててくれた周南市に恩返ししたいです。」

「これから徳山駅前がもっと賑わっていくかと思うと、今からすごく楽しみです!」と今後のまちの発展にも期待しているという安達さんからは、あふれんばかりの郷土愛が伝わってきました。

<関連リンク>

▼徳山海上保安部
https://www.kaiho.mlit.go.jp/06kanku/tokuyama/

記事:藤井 香織 / 写真:嶋畑 勤
執筆時期:2023年7月

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