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一般社団法人「おいでませ湯野」|代表理事 西田宏次朗さん・理事 竹永富夫さん

西田宏次朗さん(右)

1971年、山口県周南市湯野生まれ。紫水園の代表取締役社長。高校まで周南市で過ごし、大学進学を機に上京。大学卒業後、神奈川県内のホテルに就職。25歳のときに帰郷し、祖父の代から続く紫水園に勤務。3代目として経営に携わる。一般社団法人「おいでませ湯野」代表理事。

竹永富夫さん(左)

1968年、山口県宇部市生まれ。芳山園の取締役支配人。小野田高校から福岡大学工学部へ進学。卒業後、Uターンし、地元採用のあった住宅メーカーに就職。40歳を機に、妻の実家である芳山園の運営に携わる。湯野温泉事業協同組合代表理事。一般社団法人「おいでませ湯野」理事。

山口市の湯田温泉、長門市の長門湯本温泉と並び「防長三名湯」の一つに数えられる湯野温泉。2024年4月には新たな観光拠点施設「湯や 晴ル音」も誕生し、いま注目が高まっているエリアです。

閑静な山あいにある湯のまち

山陽自動車道・徳山西ICから車でおよそ10分。国道2号線から夜市川に沿って車を北上させると左手に見えてくるのが、閑静な山あいにある湯野温泉です。古くは「周南の奥座敷」とも呼ばれ、多くの人々に親しまれてきました。

泉質は含硫黄・弱放射能-アルカリ性単純温泉。硫黄泉でありながらアルカリ性という極めて稀な温泉で、健康に良いとされるラジウム温泉と、美肌効果のあるアルカリ性硫黄温泉の両方の成分が含まれています。

数々の伝説に彩られた歴史ある温泉

湯野温泉の起源は諸説あります。まず、「1700年前、神功皇后が周防灘を航海中に立ち寄り、大熱に冒された息子を温泉で治療した」という説。ほかにも「天正年間(1573 -1592)に、薬師如来のお告げを聞いた河村三五兵衛が、この地に埋もれていた仏を掘り出して祀ると、温泉が湧き出た」「山里の西側にそびえ立つ城山から天狗が飛来して温泉に浸かった」など、さまざまな伝説が残っています。公的な記録としては、幕末の地誌である『防長風土注進案』に、安永年間(1772 -1781)に湯治場として利用されていたことが記されています。

本格的な温泉掘削は明治時代に入ってから。日清、日露戦争の際には、負傷兵士の療養地に指定され、湯治の地として全国的にもその名を知られるようになりました。また、夏目漱石の代表作『坊っちゃん』のモデルとされる弘中又一の出身地でもあります。

訪れた温泉街存続の危機

最盛期の1972年には、13軒の温泉施設が軒を連ね、通りにはおよそ20軒の店舗があったという湯野地区。しかし、団体客から個人客へと旅行スタイルの変化により利用客は次第に減少。旅館のいくつかは廃業を余儀なくされ、温泉施設は3軒にまで減ってしまいました。歴史ある湯野温泉を残し、未来へつないでいきたい…。そこで、3つの温泉施設と周南市などが連携して、温泉街の再生に向けて動き出しました。しかし、2022年2月には、施設の老朽化や新型コロナの影響による経営難により、「国民宿舎 湯野荘」が閉館。人を呼び込む大きな要素を失いました。このままでは温泉街全体の存続も危ぶまれる…。そこで立ち上がったのが、地元の旅館組合や自治会連合会の代表者らでつくる一般社団法人「おいでませ湯野」です。

湯野温泉に新しい風を!

「おいでませ湯野」は湯野荘の敷地と建物を市から無償で譲り受け、2024年4月、およそ2億円をかけて新たな観光拠点施設「湯や 晴ル音」をオープンさせました。

木の温もりを感じさせる管理棟内には、2つの貸切風呂、ロウリュを楽しめる貸切サウナ、カフェを設置。屋外のテラス席には足湯も備えており、カフェで注文したメニューを足湯に浸かりながら楽しむこともできます。向かいにある浴場棟には、旧湯野荘の面影を残した大浴場もあり、ファンにとっては懐かしい光景が広がっています。

「おいでませ湯野」の代表理事を務める西田宏次朗さんは次のように語ります。

「人が集まれる建物、人が集える建物をコンセプトに、温泉旅館も含めた3施設が1つの旅館として機能するようにつくりました。この施設を通じて、地域全体が活性化され、湯野のまちのなかにどんどん人が歩くような未来を期待しています。」

「湯や 晴ル音」のオープンからもうすぐ1年。温泉旅館の宿泊客はもちろん、ドライブの立ち寄りスポットとして、家族連れや女性客など多くの人が訪れています。

「今後は、飲食店など周辺施設と連携しながら相乗効果を生み出していきたい」と語る西田さん。湯野温泉を盛り上げる起爆剤として大きな期待が寄せられています。

「湯や 晴ル音」の完成に漕ぎつくまでにはどんな物語が秘められていたのでしょう? 湯野温泉を盛り上げる立役者、一般社団法人「おいでませ湯野」代表理事の西田宏次朗さんと理事の竹永富夫さんにお話をうかがいました。

湯野で過ごした幼少期

一般社団法人「おいでませ湯野」の代表理事であり、3代目社長として「紫水園」を束ねる西田宏次朗さんに、生まれ育った湯野での思い出を聞いてみました。

「小さい頃は、近くの公園で鬼ごっこをしたり、夜市川で鯉を釣ったり、この界隈でよく遊んだものです。八百屋や魚屋、靴屋、おもちゃ屋、文具店など、生活に必要なお店が全て揃っていて、買い物は湯野で完結していました。家業が旅館業なので、家族旅行に行った記憶はありません。母の実家がある神奈川に兄弟3人で出かけたくらい。高校までずっと地元で過ごしました。」

旅館とホテルの接客の違い

大学進学を機に上京した西田さんは卒業後、神奈川県内にあるホテルに就職しました。

「旅館とホテルでは接客の仕方が真逆。ホテルだとスタッフがお部屋に入るのは清掃のときぐらいですが、旅館はお客様との距離感が近い接客スタイル。仲居がお部屋に入り、食事の配膳から布団の上げ下げまであらゆるお世話をします。それが旅館の良さでもあるけれど、果たして本当にそれで良いのかなと。時代に合わせて旅館とホテルの良さをうまく融合していけたらと思っていました。」

外に出て分かった周南市の良さ

外に出たことで家業である旅館の課題に気づいた西田さん。同時に周南市への想いも膨らんでいきました。

「東京での暮らしはそれなりに楽しかったけれど、気を張っている部分も大きかった。だから、帰省したときに人の温かさが身にしみました。都会と田舎が程よく合わさっていて、ゆったりとした時間が流れている。やっぱり地元がいいなと感じ、25歳のときに周南市に戻り、家業を継ぐことを決意しました。」

衰退していく温泉郷を守りたい

西田さんがUターンしたとき、湯野の温泉旅館は7、8軒に減っていました。

「当時は企業や自治体の団体客が多く、何もしなくても予約が入っていた時代でした。あまり危機感はなく、茹でガエル状態でしたね。もっと早くから手を打っていれば、ここまで需要が落ち込むことはなかったかもしれません。温泉旅館が徐々に減り、温泉地として衰退していくなか、地域を復活させるにはどうしたらいいか悩んでいました。」

周南市との意外な接点

一方、「芳山園」取締役支配人を務める竹永富夫さんは、生まれも育ちも宇部市。奥さんの実家が「芳山園」であったことから、周南市との接点が生まれました。

「工場地帯という点では、宇部市と周南市は似ていると感じます。それに加えて周南市は、海も山も近く、遊びの要素がぎゅっと凝縮されている。外からの人も受け入れやすい温かい土壌だと感じています。」

実は竹永さん、学生時代に一度、友人と湯野温泉を訪れているのだとか。

「そのときに利用したのが芳山園。まさか将来、自分が経営に携わるとは夢にも思わなかったですね。大学を卒業後、就職先で芳山園の三女である妻と知り合い、結婚しました。」

若者による地域活性グループを結成

当時、宇部で住宅メーカーに勤めていた竹永さん。前職を辞め、本格的に芳山園の運営に携わるようになったのは40歳のときでした。

「そもそも湯野のことを知らなかったので、地域に溶け込むために自治会などの地域活動に積極的に顔を出すようにしました。参加して気づいたのは、参加者の多くが高齢者で、若い人が表に出る場面が少ないこと。そこで、若者を中心とする地域活性グループ『tengoo(テングー)』を立ち上げ、看板の掃除や『ゆの浴衣まつり』などのイベントの企画・運営をスタートしました。」

tengooのメンバーには紫水園の西田さんも入っていました。

「私は生まれも育ちも湯野なので、疑問に思わず当たり前にしている部分もありました。だから、外から来た竹永さんに教えてもらうことは多かったですね。一緒に切磋琢磨しながら地域を盛り上げていきたいと思いました。」

しかし、活動を続けていくなかで課題も見えてきたといいます。

「それぞれのメンバーが本業を抱えながらの活動だったので、このままボランティアで続けていくのは難しいなと感じていました。」

実証実験により効能が明らかに

ちょうどその頃、湯野温泉で行われたのが、環境省の「新・湯治」の効果に関する協同モデル調査でした。当時のことを竹永さんは次のように振り返ります。

「湯野温泉は『美肌の湯』として知られていますが、その科学的根拠は明らかにされていませんでした。そこで、旧徳山大学(現 周南公立大学)など有識者の協力を得て、モニターを募り、実証実験を行いました。その結果、温泉に入ることで多くの被験者の血中コレステロール濃度が下がり、皮膚の水分量や弾力性が増したという結果が出ました。さらに、運動後に入浴した方が、効果が上がることも分かりました。こうした結果を踏まえて、食・美容・医療・自然などの要素と掛け合わせて『現代の新湯治』としてPRできないかと考えていたとき、浮上したのが湯野荘の閉館です。」

きっかけは湯野荘の閉館

西田さんはこう語ります。

「湯野荘には年間7万人のお客様が来られていました。そこを失うとなると、地域としての痛手が大きい。旅館業や観光業は地域の盛り上がりがなければ成り立ちません。1つが頑張っても限界があります。湯野荘の閉館は旅館業を営む私たちにとっても死活問題でした。そこで、竹永さんとも話し合った結果、湯野荘を再生し、温泉自体をウリにしていかなければ、生き残れないという結論に至りました。」

補助金の採択が追い風に

そこにタイミングよく舞い込んだのが、観光庁の地域一体型補助金の公募です。

「5事業所以上が一体となって事業を実施することが条件だったため、一般社団法人『おいでませ湯野』を立ち上げ、芳山園、紫水園も含めた湯野周辺の6事業所で申し込みました。計画には、3つの温泉施設が1つの旅館として機能し、滞在時間を延ばして交流人口を増やす施策を盛り込みました。後から聞いたところ、約400件の応募があり、そのうちの150件しか採択されなかったそう。我々が生き残るにはこの選択肢しかなかったのですが、振り返ってみるとかなりの綱渡りでしたね。国からのお墨付きが出たことで、周南市や金融機関からのバックアップも得やすくなり、一気に潮目が変わりました。」

獲得した補助金を活用して、新しい観光拠点施設「湯や 晴ル音」のオープン、「紫水園」のリニューアル、「芳山園」の新大浴場建設と、湯野にある3施設は次々に生まれ変わりました。

それだけではありません。湯野地域の交流人口を増やすことを目的にした定期的なイベントも開催されています。

「2024年には、『湯野カラダUKIUKIフェスタ』と題して、YMGUTSのハンドボール体験、周南公立大学のわくわくスポーツコーナー、周南リハビリテーション病院のInbody(体成分分析装置)体験など、産官学の協力を得て、運動に着目したイベントを開催しました。今後も毎年11月に開催する予定です。イベントを通じて湯野のことを多くの人に知ってもらえたらと思います。」

湯野に新たな賑わいを生み出したい

これからの展開について、竹永さんは次のように語ります。

「今はリニューアル効果でたくさんの方が足を運んでくださっていますが、湯野温泉の真価が問われるのは2025年以降だと思っています。地域全体を活性化させるためには、『湯や 晴ル音』を中心に各施設を繋げ、点から線、線から面にしていかなければいけません。そのための仕掛けも必要です。今後は、湯野公園をはじめ空き家や休耕地の活用も含めて、まち全体の活性化を図っていきたいと思います。」

周南市の西の観光拠点として

最後に、西田さんが夢を語ってくださいました。

「湯野が再生する良い機会をいただいたと感謝しています。まちに人がどんどん溢れるようになれば、湯野に出店したいという人も増えてくるはず。私が死ぬまでに旅館を1軒新しく建てる人が出てくるような未来が描けたらいいなと考えています。周南市には、周南市徳山動物園をはじめとする観光資源がたくさんあります。今後は広域連携も視野に入れ、周囲の協力を得ながら、周南市の西の観光拠点として発展させていきたいと思っています。」

お二人の話を聞いて「湯野地域をもっと盛り上げたい!」という気持ちがひしひしと伝わってきました。まち歩きの拠点となる施設が加わり、新たな魅力を放ち始めた湯野温泉。ぜひ一度足を運んでみてください!

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記事:小野理枝/写真:川上 優

執筆時期:2025年1月

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